拳の中に握りしめたもの

年中のYくんとTくんがケンカした。
きっかけは、とてもささいないこと。
じゃれあう内に、本気になっていった。

Yくんも、Tくんも、しだいに目が鋭くなり、
相手を威嚇し、睨みつける。
腕を交わらせ、相手を倒すタイミングを見計らう。
緊迫した空気。

年少のSrくんが「Tくん、ガンバレ！」と言い始めた。
それに他の年少もつづく。
悔しいYくん。
互角、対等。

なりゆきでケンカになってしまった２人は、
本気だ。
だけど、だけど、私には、
力尽くではないような気がしてならなかった。
手をぬいているのとは違う。
本気だ。
けれど、どこかで相手を思いやっているような、
やっていいことと、いけないこととの一線を引いているような
そんな温かいものを感じていた。

組み手が離れ、距離をおき、
ふたりとも思いきりハァハァと息をぬく。
そして、また取っ組み合う。
それが何度か続いた後、
Yくんが、壁に背中をつけ、手を後ろに回した。
Tくんは、Yくんに向かおうとした。
けれど、足が止まった。
行かなかった。

その瞬間、Srくんが言った。
「Yの勝ちだ！」
周りも盛り上がる。
Yくんは、両手を上げ、無言で喜ぶ。

Tくんが、「Yが勝ち」と決めたSrくんに近づいた。
次の瞬間、Tくんは、Srくんを睨みつけ、
拳を目の前まで振り上げた。
拳は、Srくんの目の前で止まった。
一瞬の出来事だった。

Tくんはうつむきがちに、
残った左手で、Srくんの腕をぐいぐい引っ張る。

「なんで、Yが勝ちって、決めるんだよ」
行き場のなくしたTくんの拳が、
そう叫んでいるように思えた。

Tくんは、みんなに背を向け、
部屋の角にとぼとぼ歩いた。
Tくんのからだは少しずつゆるみ、
清々しい表情に変わっていった。

Tくんが拳の中に握りしめたもの。
それは、Tくんの強さと優しさなのかもしれない。

（文：保育者まゆ）